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喫茶くしゅん

喫茶くしゅん

2021年

2021年12月28日 ライオンのおやつ。
NHKBSのドラマ「ライオンのおやつ」を見た。
小川糸さん原作、全8回、主演は土村芳(かほ)さん、である。
実は今年の夏に
ホテルに滞在することがあり
やや暇を持て余していたところ
たまたまテレビをつけたらやっていて
今からするとそれは6話目で
でも、すごい見入ってしまい
これは再放送したら絶対見ようと思っていて
先頃、再放送されたので
本当にタイミングがよかった、というわけである。
正直、自分は涙もろい方ではないのだけど
3話目の桃ちゃんの話あたりから
涙がポロポロこぼれてしまい
4話目、5話目とそれは続き
思えば6話目は少し一休みできる回だったらしく
一旦落ち着いたのだけど
7話目、8話目と再び涙が……という感じで
もう何だろ……そういうドラマである。
ネタバレになるので
これ以上言うのはやめよう。
ただ、最後の方、
あそこで〇中〇奈さんを出すのはずるい、と思った。(笑)
あらすじ
抗がん剤治療も功を奏せず
医師から余命宣告を受けた29歳のOL、海野雫は
仕事を辞めて、離れて住んでいる家族にも言わずに
瀬戸内海の島にあるホスピス「ライオンの家」にやってくる。
「ライオンの家」では何人かの入居者が
献身的なスタッフに支えられて
人生最後の時間を穏やかに過ごしていた……。

今年はここまで。皆さん、よいお年を。

2021年12月23日 オープンソース・インベスティゲーション。
「オープンソース・インベスティゲーション」
に関する番組を見た。
「オープンソース・インベスティゲーション」とは
公開されているネットの情報だけを頼りに
事件・事故等の真相をあぶり出すという調査方法である。
まず、驚いたのが、普通の一般女性が
アメリカ軍の秘密基地の場所を暴いてしまった、という事例だ。
この女性は初めから機密を暴こうとしていたわけではなく
自分のランニングしたコースが地図上に現れるアプリを
何気なく見ていたのだそうだ。
すると、自分だけでなく全世界の人達が
地球上のどこをどうランニングしているかわかる
サイトがあることに気づいた。
なるほど面白いなと見ているうちに
アメリカ本土の、まず街などはない一帯で
かなりの人がランニングしている場所があるということに思い当たる。
え?何だろう?と調べているうちに
どうもそこはアメリカ軍の秘密基地らしいことがわかった、
というのだ。
基地にいるのは基本、軍人さん達で
体を鍛えるためにランニングをしている人が多く
また、そのアプリを使っている人が少なからずいたことから
位置情報が期せずしてダダ漏れになってしまった、というわけである。
あのアメリカ軍でさえ
一般女性に自宅のパソコン1つで
機密を暴かれてしまう時代なのである。
番組では、ウクライナの航空機がイランで撃墜された事件や
新疆ウイグル自治区の人達が強制労働させられている実態についても
全く現地に行くこともなく
アップされている映像や資料を元に暴き出すというのをやっていた。
「ベリング・キャット」というそれに特化した会社もあったり
一匹狼的にそれを生業としている人もいるのだそうな。
ただ、不都合な真実を隠蔽しようとする国や組織もあるため
暴き出す内容によっては身に危険が迫る可能性もあるという。
しかし、世界中の人がスマホで動画を撮影をし
それを共有できる時代、
最早、情報は都合よく操作できるなどと思い上がらない方がよい。
情報端末の普及とは、つまりはそういうことで
一部の権力者が都合よく大衆を動かせる時代は、終わったのである。

2021年12月13日 アナグラム。
今年は、河村たかし名古屋市長が
金メダリストの市役所表敬訪問の際
金メダルを噛んでしまい、騒動に発展したことがあった。
その河村たかし市長の
アナグラムが最近、話題になっているらしい。
ちなみにアナグラムとは
文字を入れ替えることによって
別の意味にする言葉遊びである。
その話題のアナグラム。
かわむらたかし
わたしかむから
たからかむわし
かしたらかむわ
大変な符合である。(笑)
実は河村市長の噛む事例はこれが初めてではなく
4月に行われた「名古屋城金シャチ特別展覧」の開会式でも
疫病退散を願うために16年ぶりに地上に下ろされた
金のしゃちほこの鼻先に齧りつこうとした
パフォーマンスがあったらしいのだ。
何か噛みたくなっちゃうんだろうね。(笑)

2021年12月08日 渡辺綱。
で、頼光四天王の話の続きで「渡辺綱」なのだけど
「一条戻り橋の鬼退治」で有名である。
頼光が家督を譲られ当主となった頃
京の都では人が行方不明になる事件が続いていた。
男を横取りされて嫉妬にかられた女性が
「貴船神社」で相手の女を取り殺したいと祈り
鬼女となって犯行を重ねていると噂されていた。
ある晩、渡辺綱が頼光の使いを済ませて
「一条戻り橋」に差し掛かると
橋の真ん中に美しい女性が立っている。
「家まで送ってください」と言われて引き受けたものの
送る途中で女性は恐ろしい鬼へと姿を変える。
そして、渡辺綱の髪を掴んで上空へと舞い上がった。
鬼って飛べるんですね。
「北野天満宮」の上空に差し掛かった時
渡辺綱は何かあった時のためにと
頼光から預かっていた「髭切の太刀(ひげきりのたち)」で
鬼の腕を斬り落して、逃げることに成功する。
そんな高い所から落ちて大丈夫だったのだろうか
という疑問は残る。
鬼は「愛宕山」の方に逃げ去り
渡辺綱の元には鬼の毛むくじゃらの腕が残された。
急ぎ頼光の屋敷に戻って仔細を報告すると
頼光は陰陽師の「安倍晴明」を呼び寄せる。
同じ時代の人だったんですね。
安倍晴明は渡辺綱に
7日間、誰にも会わないようにすること
鬼の腕は誰も触れさせないようすること、を伝える。
6日目の夕暮れ、渡辺綱の元に養母が訪ねてきた。
晴明に言われた通り
誰が来ても会わないつもりの渡辺綱だったが
養母が「せっかく遠い所から出て来たのに」
と泣き出してしまったので
可哀そうになって屋敷に入れてしまった。
なぜすぐに入れてくれなかったのかと養母に尋ねられ
かくかくしかじかと説明する渡辺綱。
そうなの、そんな理由があったの、と養母。
そうなんです、そういう理由があったんです。
そうだったの。それは大変だったわね。
ええ、大変でした。
都って本当に物騒な所ね。くわばらくわばら。
物騒なんでもんじゃないですよ。
何しろ魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)してますからね。
まあ、魑魅魍魎ですって?恐いわ。
あ、そうだ、せっかくですから
お母さんには見てもらいますか。
え?何を?
鬼の腕です。大変珍しいものですよ。
ちょっと待ってくださいね。
これです。これがその鬼の腕です。
凄いでしょう。もう毛むくじゃらなんですよ。
……。
……お母さん?……どうしました?
……ふふふふふ……ははははは。
えっ?
これは……これは、私の腕だ!!
マ、マジかよ!!
ということで(笑)
見る見る養母は鬼の姿へと形を変え、腕を奪うや否や大逃亡。
渡辺綱はそれを茫然と見送るしかないのでした。
後に鬼の腕を斬った「髭切の太刀」は
「鬼切丸」と名を変えることになったのだそうな。
そして「北野天満宮」の上空に差し掛かった時に
逃げることに成功したことから
ご加護があったということで、渡辺綱は石灯籠を寄進。
それが今でも「北野天満宮」にあるのだという。
え?フィクションじゃないのかよ。

2021年11月30日 月の満ち欠け。
佐藤正午さんの「月の満ち欠け」を読んだ。
17年上半期、直木賞受賞作である。
この本、ちょっと変わっていて
岩波文庫そっくりに作ってあるものの
正確には岩波文庫ではないという
でも、岩波文庫から出しているという
何だかよくわからないつくりになっている。
自分は岩波文庫の装丁って本当に好きで
たいして読む気がないのに買ってしまう時がある。
本棚に岩波文庫が並んでいるだけで何かうれしいのである。
で、「月の満ち欠け」なのだけど
佐藤正午さんの本って初めて読んだのだけど
自分は好きだなぁ、と思った。
手練れと言うのだろうか。
プロが認める作家というのもわかる。
この小説は感想を言うだけで
ネタバレになりそうなので
これ以上言うのはよそう。
あらすじ
小山内堅(おさないつよし)の娘、瑠璃(るり)は
7歳の時、高熱を出して寝こむ。
ほどなく回復して安心するものの
それ以後、瑠璃を巡っては不思議なことが起こり始める……。
例えば、瑠璃のノートには瑠璃の字で
次のような短歌が書き込まれていた。
君にちかふ阿蘇のけむりの絶ゆるとも万葉集の歌ほろぶとも

2021年11月23日 金平牛蒡。
しかし、きんぴらごぼうというのは
しみじみと美味いものだな、と思う。
漢字では金平牛蒡と書き
ゴボウをささがきにして油で炒め
砂糖や醤油で味をつけ
唐辛子で辛味をきかせた、例のあれである。
え?ゴホウさんが主役?
だったら私、友情出演させていただきます的な
ニンジンがさり気なくいるのも泣かせる。
色合い的にも本当に華を添えている。
金平は金平浄瑠璃に由来するのだという。
金太郎、坂田金時の長男、坂田金平が
大活躍する人形劇が江戸時代に大流行したとかで
坂田金平の力持ちで勇敢なキャラが
しっかりとした歯応え、唐辛子のピリリと効いた辛さと
リンクするということで
金平牛蒡となったのだそうな。
大江山の鬼退治で知られる源頼光には
頼光四天王という家来がいて
坂田金時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武。
坂田金平はその次世代が活躍する続編という位置づけ。
スターウォーズ並みのクロニクルなのである。

2021年11月10日 にわとりの話。
ある記事で読んだにわとりの話。
たくさん卵を産むにわとりだけを集めて
同じケージで育てると
喧嘩が起こったり
やる気を失くすにわとりが現れたりして
結局は生産性が思う程伸びないどころか
大幅に低下することもあるのだとという。
つまりは、たくさん産むにわとりもいて
たくさんは産まないにわとりもいて
良いバランスが保たれている、ということだ。
それでそれと同じことが人間の組織でも
まま起こり得るのだ、と諭していた。
お互いが足を引っ張り合うような
殺伐とした環境では生産性は上がらない
ということか。
ま、時と場合、状況にもよるとは思うのだけど。
建物でも同じようなことが言える。
無駄なスペース、意味のない空間みたいなものが
人の心を和ませ、回復させる力がある。
機能的というのは一見いいようだけれど
傷ついた人の居場所が
トイレの個室しかないような環境は
人間にとっては良いスペースとは言えないというわけだ。
人間でも組織でも
生産性にしか目がいかないような姿勢は
心底精神を疲弊させる、ということなのだろう。
会社は社員や顧客を幸せにするためにあるのであって
役員や株主に奉仕するためにあるのではない。
給料という対価があるのだから働いて当然だろう
ではないのである。
人はパンのみに生くるにあらず
にわとりはえさのみに生くるにあらず、である。

2021年11月04日 空旅中国。
NHKBSプレミアムの「空旅中国」を見た。
シリーズの何回かやっているうちの1回で
たぶんドローンだとは思うのだけど
昔、玄奘が旅したような中国の荒野を
上空からずーっと映していくというものである。
建物はあっても、砂にまみれて今は遺跡となって
ほとんど風化しているかのようなものが多い。
よく作ったねというような
断崖絶壁に彫られている巨大な摩崖仏。
1つ1つにたぶん名前などついていないのではないかと思われる
とんでもなくたくさんの、またどこまでも続く山波。
「空旅中国」を見ていると
中国という國がいかに広大であるか
世界がいかに広大無辺であるか、ということがわかる。
本当の中国は、世界は、たぶんそこにあるのだろう。
「春望」の杜甫や「故郷」の魯迅ではないが
つまらない人間同士の争いで
心をすり減らすような世界ではない。
ましてや党利党略に囚われた政党が君臨して
人権を侵害している世界とも違う。
本当の中国は、世界は
たぶんもっと大らかで豊かで
もっとつかみどころのないものだ。
無尽蔵という言葉がふさわしい。
そして、李白の詩のように
もっともっと自由であるはずだ。

2021年10月26日 春は夜汽車の窓から。
学生時代に国語の教科書に載っていた思い出深い作品は?
というのが記事になっていた。
最も多くの人の票を集めた作品は
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」ということだった。
さもありなん、である。
原作の良さもさることながら
髙橋健二さんの訳が名訳中の名訳である。
そして、あの読んだ後に残るほろ苦さは
誰もが感じるところ
これこそが文学というものなのだろう。
自分にとっての国語の教科書に載っていた思い出深い作品は
もうたった一つの作品に決まっている。
「少年の日の思い出」と同じ
当時は中学一年の教科書に載っていた
三浦哲郎さんの随筆「春は夜汽車の窓から」である。
当時、中学一年の自分は
随筆とはこういうものか
文学とはここまで味わい深いものなのか
と密かに衝撃を受けた。
国語の授業中に隠れて
何度読み返したかわからない。
「少年の日の思い出」とは違って何とも後味がよく
向田邦子さんの一連の随筆と比べても
とがっておらず、何ともやさしく深いのである。
「春は夜汽車の窓から」所収の
「笹舟日記」みたい名著が
現在ではなかなか手に入りにくくなっているのは
本当に残念なことである。
幸いにも自分は、本棚に一冊持っている。

2021年10月08日 黒牢城。
話題の米澤穂信さんの「黒牢城(こくろうじょう)」を読んだ。
合戦描写、籠城内での軍議の様子、
荒木村重、黒田官兵衛の人物造形、
何より初めて時代小説を書いたとは思えない言葉回し、
時代小説としてだけ読んでもえらい重厚な仕上がりで
ほとほと感心させられた。
それに加えて四つの謎解きがあり
それをあの荒木村重が推理を巡らせ
行き詰まると城の地下に囚われている
当代一の切れ者の
あの黒田官兵衛に相談しに行くというのだから
アクロバティックここに極まれり、といった感じである。
そして、最後には……
もう言わない方がいいだろう。
土日から来週にかけてのんびり読もうと思っていた本を
面白くてもう読んでしまった。(笑)
あらすじ
織田信長に叛旗を翻して
有岡城に立て籠った荒木村重は
信長からの使者、黒田官兵衛を土牢に閉じ込める。
頼みの毛利はいっこうに来ず
かといって、織田は一気には攻めて来ない。
有岡城は膠着状態のまま、ただ時間だけが過ぎて行く。
そんな籠城中の城内に次々と起こる不可思議な出来事。
その謎解きを荒木村重は
今となっては城内一の切れ者、黒田官兵衛に
密かに相談しに行くのだが……。

2021年09月25日 親の顔が見たい。
国語辞典の話の続き。
少し調べたら「親の顔が見たい」という言葉を引いて
3つの辞書の違いを述べているページがあった。

親の顔が見たい
→よその子供の言動に驚き呆れたような場合にいうことば。
「広辞苑第七版」

親の顔が見たい
→しつけやおこないの悪い(若い)者に対して言うことば。
「三省堂国語辞典第七版」

親の顔が見たい
→(主に若い人に対して)とんでもないことをした人を罵り、
責めるために言う言葉。(文字通りに本当に見たいわけではない)
「新明解国語辞典第八版」

(文字通りに本当に見たいわけではない)というのが
さすが新明解といったところか。

そこで、自分も語釈を考えてみた。
究極のヒマな人ですね。(笑)

公共のマナーをわきまえていない子どもを見た時に
(親が近くには見当たらない場合に限る)
その子どもの生い立ちを慮って
親はどのようなしつけ、教育をしてきたのだろうと
訝しみ、嘆く時に言い合う決まり文句。
「志野さん国語辞典第一版」

「親の顔が見たい」と言った時には
子どもの振る舞いが公共のマナーを乱すくらいの程度が主で
怖ろしく社会の秩序を乱すようなことをした場合には言わない
のではないだろうか。
例えば銀行強盗をした時には
振り切れてしまって
さすがに親の責任の範疇を越えてしまって
あまり言わなくなるのではないかと考えるのだけどどうだろうか。

そして、その状況を2人以上の複数で目撃したか
後でその状況を共に嘆く人がいる場合に出る言葉
なのではないだろうか。
1人でそのような場面に出くわした時には
「全く親のしつけはどうなってるんだ」とは思っても
「親の顔が見たい」というフレーズは
共感し合う人がいないと
なかなか出て来ないのではないだろうか。

そもそも「顔を見ただけで満足なのか?」という問題もある。
本当は顔を見ただけでは不満足なのに
顔を見たいというところで留めているところに
このフレーズの元々の面白さがある。

あとこのコロナ禍だと
見たところでマスクをしていて
顔全体がよくわからないので
「顔を見たい」という欲求が
最近はやや弱まっているのではないか
などといろいろ考える今日この頃である。

2021年09月20日 マリトッツォ。
三省堂国語辞典が久しぶりに改訂された
というニュースをやっていた。
編纂者の方によると
どの言葉を足して、どの言葉を削るか
意味が変わった言葉はないか、そしてその修正
が大切なんだそうである。
足した言葉として、最近、話題の「マリトッツォ」。
編纂者の方は最初
「生クリームをたっぷり挟んだパン」としてみた。
ただそれでは
「クリームパン」とあまり変わりないことに気づき
「生クリームをはみ出るほどたっぷり使ったパン」
と変えた。
しかし、よくよくマリトッツォを見ると
はみ出てるわけではない、と思い直し
「生クリームを惜しみなくたっぷり挟んだパン」
と最終的にはしたのだそうな。
辞書を作るって、改めて大変なんですね。
「マリトッツォ」以外の今回の改訂で収録された新語例。
「いいね」「一周回って」「置きに行く」
「ガテン系」「完コピ」「きゅんきゅん」
「くるりんぱ」「聖地巡礼」「センベロ」
「ソーシャルディスタンス」「ゾーンに入る」
「撮れ高」「斜め上」「はずい」
「はふはふ」「秒で」「棒人間」
「ホニャララ」「増し増し」「黙食」
「持ってる」「夢落ち」「ラスボス」
「リアタイ」「わちゃわちゃ」「悪目立ち」

2021年09月04日 アウトドアライフ。
園芸用の大きなプランターに水を張って
ビオトープみたいにしてメダカを飼っているのだけど
先日、メダカにえさでもやろうかと近づいてみたところ
水面がバシャバシャバシャバシャ
鮎でも泳いでいるのだろうかというくらいの
すごい波立ち具合である。
ん?ん?な、な、何だ?何だ?
とさらに近づいてよく見てみたら
何と……家守様が……泳いでらっしゃるではないか!
間違って落ちてしまったのか
意図的に泳いでいるのかはよくわからないが
バシャバシャバシャバシャ
「家守様、真夏の大冒険!」といった風情である。
程なくプールサイドにたどり着いて
登って何処かに去って行かれた。
家守様、久しぶりにお会いしましたけど
アウトドアライフを満喫されているようですね。(笑)

2021年08月20日 ももクロ一座特別公演。
宝塚と言えば、彩羽真矢さん、最近どうしたろ?
と調べてみたら、何と……ももクロの舞台出演が決まっていた!
第2回ももクロ一座特別公演
第1部 大江戸ミュージカル
    「CHANGE THE FUTURE!〜未来を変えろ〜」
第2部 ももいろクローバーZ 大いに歌う2021
出演 玉井詩織 百田夏菜子 高城れに 佐々木彩夏
   オラキオ 彩羽真矢 大友康平
期間 2021年9月25日(土)〜10月4日(月)
料金 Z席12000円 B席7000円
会場 明治座(東京都中央区日本橋浜町 2-31-1)
ももクロだとZ席って言うんだね。(笑)
彩羽真矢さん、がんばるんだゼーット!

2021年08月13日 はいからさんが通る。
録画していた宝塚花組の「はいからさんが通る」を見た。
ただただ楽しかった。
そして、素晴らしい出来だった。
今まで宝塚が積み上げてきた数々の技術(スキル)、
例えば、男役はこういう立ち居振る舞いで格好良く見せる、
娘役も同様、こういう立ち居振る舞いで快活で可愛らしく見せる、
脇を固める各人はこういう風にキャラを立たせる、
物語はこういう風に波乱万丈に見せ、
この絶妙のタイミングで歌い出す、
それをキャスト、スタッフの隅々に渡るまでがしっかりと理解し
まるで伝統文化を継承するかのような必死さで
これでもかと一瞬の油断もなく観客に突きつけてくる、
それが宝塚歌劇団というものなのだろう。
主演の華優希(はなゆうき)さん、柚香光(ゆずかれい)さん、
共にさすがトップスターという感じで魅力的だった。
ちなみに華優希さんは今年の7月に退団されたのだそうな。
あらすじ
時は大正。
花村紅緒(はなむらべにお)は自転車を乗り回す
跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘。
親の決めた許婚、伊集院忍(いじゅういんしのぶ)少尉に
最初は反発するものの
少尉の大らかな男らしさ優しさにだんだんと惹かれて行く。
しかし時代は、2人を過酷な運命へと導いていく……。
そう、朝靄に煙ってる運命の別れ道に……。(笑)

2021年08月06日 ZООM。
ZООMというのを初めてやった。
大学の先生の講義を聞くというもので
自分は自宅のお茶の間から行った。
他の先生の画像の背景を見ると
学校の教室みたいなところから参加している人も多い。
もちろん自宅の自室から参加している人もいる。
前半は女性の教授のお話を聞いた。
先生のお話を聞いている時は
画像や音声はОFFにしてくださいと言われる。
後半はグループにさせられて
チャットルームというらしいのだが
ロールプレイングをしましょうというものだった。
自分のグループは
もし振り込め詐欺の電話がかかってきたら、というのを選んだ。
詐欺グループの人役、電話を受けた人役、警察の人役に分かれる。
自分は詐欺グループの人役をやった。
電話を受けた人役は女性の先生でどうやら教室から
警察の人役は女性の養護教諭の先生で
どうやら保健室から参加している。
全く離れた場所にいる3人がこうしてZООMでつながって
ロールプレイングをやっているのが何か可笑しかった。
そんなことをやりながら
演劇の読み合わせなどは
これからZООMでできるのではないかと思った。
さすがに立ち稽古までは出来ないにしても
読み合わせくらいだったら
夜の8時からやりましょう、とか出来るのではないか。
でも、それによって
義務感、多忙感を呼び起こすのだとしたら
やめた方がいいかな。

2021年07月28日 人生を長い休日のように楽しむ。
注文していた大瀧詠一さんの
「A LОNG VACATIОN」が届いた。
最近、「君は天然色」を初め再評価の動きがあって
しきりにCMや音楽番組で取り上げられるので
あらためて聞いてみようと思ったからである。
「君は天然色」「恋するカレン」「さらばシベリア鉄道」と
まあ、いい感じの曲が並んでいる。
もう1枚おまけのCDがついていて
「A LОNG VACATIОN」を作った頃の
四方山話をいろんな音源を交えて
本人が語るといった楽しいものである。
このアルバムには入っていないものの
「A面で恋をして」「幸せな結末」もよい。
そして、主な楽曲提供は以下の通り。
「さらばシベリア鉄道」太田裕美
「風立ちぬ」松田聖子
「冬のリヴィエラ」森進一
「快盗ルビィ」小泉今日子
「探偵物語」薬師丸ひろ子
「熱き心に」小林旭
忙しいことには何の価値もない。
賞とか人の称賛とか全く興味ない。
お金も好きなことができるだけあれば十分。
大瀧さんはそんな野暮なことは一言も言ってないのだけど
「A LОNG VACATIОN」と
アルバムのタイトルにもある通り
人生を長い休日のように楽しんだのが
大瀧詠一という人なのだと思う。

2021年07月22日 燃えよ剣。
司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」を読んだ。
「新選組」副長、土方歳三の生涯を描いた長編小説である。
土方は近藤勇、沖田総司らとともに「浪士組」に応募して京都に行くが
将軍を過激な志士達から守るべく手をあげたのに
リーダーの清河八郎が守るべきは将軍ではなく天皇
と言い出したのについて行けずに脱退する。
その後、芹沢鴨の力を借りて
近藤らとともに将軍を守る私設組織「新選組」を結成する。
そして、会津藩の後ろ盾も得て公設組織に昇格し
池田屋事件、蛤御門の変と
「新選組」は最強の剣客集団として名を上げていく。
しかし、時に利あらずというべきか
薩摩と長州が手を組み尊王を掲げ
将軍慶喜も大政奉還したことから
「新選組」は正規軍から賊軍へと立場を落とすことになる。
そして、戦が刀から鉄砲、大砲へと切り替わる時期とも相まって
鳥羽・伏見、甲州勝沼、函館五稜郭と苦戦、敗走を迫られる。
(もっとも土方自体は一騎当千の戦いをしている)
武士の時代が今まさに終わろうとしているのを
まともに正面からくらってしまったのが「新選組」であり
土方歳三という男なのである。
「燃えよ剣」の中でも
近藤勇は尊王にも理解を示し、立ち位置を模索しているのに対し
土方は思想などには目もくれず
「武士としてどう生きるか」ということを主眼に考えている。
土方から見れば、時流に乗ること自体が下衆、なのである。
それは、会津しかり、結果、西郷どんしかり、である。
「晋どん、晋どん、もう、ここらでよか」
西郷の言葉は平安末期以来、それでも武士の時代は
日本の歴史において、燦然と長きに渡って輝いていたではないか
と言ってるようにも聞こえる。
最後、五稜郭で土方がたった一人で敵本陣奥深くに
馬に乗って切り込んで行く。
何しろ強いので他の者達は行く手を遮られるものの
土方だけはどこまでも突き進んで行く。
あまりにたった一人なので、官軍も最初、
この洋装の男を敵だとは認識しない。
どなたですか?と聞かれて
「……新選組副長、土方歳三」と応える土方。
それを聞いて、官軍皆、震え驚愕する。
かっこいいとは、こういうことさ。

2021年07月22日 広く学ぶ。
十何年前だったかアメリカのある高校で
1人の女子生徒が
「世界では戦争や紛争で今現在も
 たくさんの人が亡くなっているのに
 安穏と授業を受けている場合ではない。
 何かしら私達はすぐに行動を起こすべきだ」
と主張して、授業をボイコットするばかりか
他の生徒にも従うように校内でアジテートして
問題になっているというニュースをやっていた。
自分が思うに
学校というものは
いろんな判断が猶予されて
いろんな過ごし方が許されていい
場所、時間なのではないか、と思うのである。
それは世界では戦争や紛争で今現在も
たくさんの人が亡くなっているのだろうけれども
それに対して行動を起こさなかったり
例え無関心であったりしていても
それが必ずしも不誠実ということにはならない、ということである。
例えば、学生時代にクラブ活動に打ち込んで
時事に全く関心がないばかりか
学業に少しも身が入らなかったとしても
社会人になって仕事に就いて
その仕事が
結果的に戦争・紛争地域の人達に役に立つようなことも
あると思うのである。
何事も切迫に考えるのは良くない。
そして、大人においてさえ
最早、社会は多岐にわたって複雑に分業化されているわけだから
皆が同じ政治活動をしていたら
社会生活は破綻してしまう。
そのアメリカの女子生徒も
誰がインフラを整えて
流通物資を運んで
衣食住に関わることは誰が生産して
社会を成り立たせているかということを
学校で、学ぶべきである。
そして、政治とは全く関係のない教科、領域も
広く学ぶべきである。
それは戦争・紛争地域、
人権が明らかに蹂躙されている地域、を棄て置くというのではない。
戦い方というのは、いろいろある、ということだ。

2021年07月04日 三四郎それから門。
「吾輩は猫である」に続いて
「三四郎」「それから」「門」を読んだ。
夏目漱石の前期三部作である。
「三四郎」は前にも記した通り愛読書とも言っていいので
何度目かの読み返しだったが
「それから」と「門」は初めて読んだ。
三作は登場人物や物語がつながっているわけではないが
「人の妻を好きになる」という
テーマの周りをぐるぐる徘徊しているという点では
なるほど、三部作と言っていいのだろう。
「三四郎」は、好きだった女性が人の妻になる話。
「それから」は、人の妻になった好きだった女性を
なりふり構わず手に入れようとする話。
「門」は、人の妻を手に入れて暮らす男の喜びと苦しみの話。
と言ったところか。
どれが好きかと言われれば
「我は我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」
の「三四郎」の首位は揺るがないものの
「門」の、物語や文章の置き方、感触(タッチ)、
さすが漱石の最高傑作と評する人が多いというのもわかった。
宗助は下級役人で病弱なお米と
小さな崖の下にひっそりと暮らしている。
歳の離れた弟の小六を大学に出してやりたいが
金銭的にその余裕もない。
物語の後半になって
お米は元々、親友の安井の内縁の妻で
いろいろあって宗助が手に入れたものの
宗助、安井ともに少々転落した人生を歩むことになった
いきさつが綴られる。
最後、救いを求めて鎌倉の禅寺に行くが
思うような悟りは得られず
また小さな崖の下の家に戻るところで物語は終わる。
ただ、「門」がいいのは
主人公の宗助が悲壮感に苛まれているように見えて
一方ではしっかりと日常の生活に根を下ろして
子どものない夫婦の暮らしは
決して華やかではないものの
ささやかな喜びが散りばめられているところだろう。
現に最後は、春の縁側で
うぐいすの鳴き声がまだ下手だね、という会話を二人でして
お米が「ようやく春になった」と喜んで
でも、宗助がそれに照れたように
「でも、どうせまた冬になるよ」と言って終わる。
それは
「我は我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」
と同じことを言っているようにも聞こえるし
少しばかり向こう側に行っているようにも聞こえる。

2021年06月19日 大宮アルディージャベントス。
今年から大宮アルディージャベントスに入った村上真帆選手。
実は中学時3年間、国語を教えていた。
それも、確かずっと国語の教科係で
授業前にいつも用具の入ったカゴを職員室に取りに来てくれていた。
その後、彼女はサッカーの名門校に進み
3年生の時に全国優勝を果たした。
決勝戦は自分もテレビの前で応援していたのだが
キャプテンで決勝点をあげる活躍だった。
大学でもサッカーを続け
今年から日本女子プロサッカーリーグの選手となったわけである。
大宮アルディージャベントス、MF、背番号25。
自分はWEリーグのことはよくわからないのだけど
たぶん日テレベレーザとか神戸レオネッサとかあると思うので
村上さんにはぜひがんばってほしい。
志野さんは今年から大宮アルディージャベントス推しである。

2021年06月06日 吾輩は猫である。
夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだ。
長いので3週間くらいかけて
ウイスキーでも飲むようにちびりちびりと読んだ。
ものの本によると
衒学的(学問・知識をひけらかすさま)なのだそうで
そのせいか、確かにそんなに読みやすい小説ではない。
だから、無理しないで読むと3週間くらいかかる。
有名なわりには
全部読んだことがあるという人は少ないのではないだろうか。
読んでいる途中で
「全国学力学習状況調査」の中3の国語の問題に出たので
偶然とはいえ面白いものだなと思った。
「吾輩」の猫の話もあるのはあるのだが
ご主人の苦沙弥(くしゃみ)先生のところに集まる
迷亭(めいてい)先生やら寒月(かんげつ)君やら
漱石山房を思わせる超ハイレベルな仲間達との会話が
結構な分量を占めている。
猫はその会話のすべてを理解し
批評を加えられるくらいに賢い。
何でも人の懐に入ったり、膝に乗ったりするだけで
読心術的な特殊能力があるのだそうで
それで学習を積んできたからわかる
と辻褄合わせのような記述もあった。
終わりあたりに出てくる
寒月君がバイオリンを買いに行くエピソードが
落語みたいで面白かった。
苦沙弥先生のモデルは漱石自身
寒月君のモデルは寺田寅彦なのだそうな。

2021年05月22日 驚き、桃の木、山椒の木。
エンゼルスの大谷翔平選手の活躍が止まらないが
大谷選手が先発して見逃し三振を取った時に
現地の実況アナウンサーが
「ドコカニイッテ、ハヲミガク!」
と言っていたのが話題になっていた。
何処かに行って歯を磨く……。
顔を洗って出直して来い!くらいの意味だろうか?
「オトトイキヤガレ!」とか教えてあげたいくらいだ。
でも、少し品がないかな。(笑)
面白い言い回しというのは他にもある。
「驚き、桃の木、山椒(さんしょ)の木」
「結構毛だらけ猫灰だらけ」
「何か用か(七日八日)九日十日(ここのかとうか)」
「あたりき車力(しゃりき)」
「その手は桑名(くわな)の焼き蛤(はまぐり)」
「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)」
「びっくり下谷(したや)の広徳寺(こうとくじ)」
「いやじゃ有馬(ありま)の水天宮(すいてんぐう)」
大谷がホームランを打った時には
現地のアナウンサーにはぜひこれくらい言ってほしい。
驚き、桃の木、山椒の木、
結構毛だらけ猫灰だらけ、
恐れ入谷の鬼子母神、
何処かに行って歯を磨く。
こいつぁ春から縁起がいいわぇ。

2021年05月07日 漢詩。
今週は久しぶりに懐かしい人と会って少し話をした。
中国って奥深いと思うんですよ、とやおらその方が話し出したので
自分もここ二ヶ月くらい漢詩の本を3冊ほど読んで
長閑な気持ちになった、などと話した。
その方も中国の美術についての考察を述べたりしていた。
漢詩も世を憂いたり、生を儚んだりするものも多いのだけど
漢詩というフォルムの中に包まれると
不思議と語られる内容が
程よい距離を置いて感じられるというか
1回フィルターを通して
よき処理をして語られるように感じるというか
もしかしたらそう思うのは日本人だけなのかもしれないけど
まあ、大体がそういう按配で
春になったら「どうぶつの森」をやろうかな、などと
周囲に洩らしていた自分だったのだけど
漢詩とか読んでるだけで十分幸せだな
などと生意気にも感じてしまい
未だ購入には至っていない今日この頃である。(笑)
可塑性を持たせるのも、双方向にするのも、
すべては自分次第、ということか。
では、いずれまたお会いしましょう、と
その方とは別れた。

2021年04月25日 ネコ。
今日、家の前の道路を掃除してたら
自転車に乗ったおばあさんに声をかけられた。
「すみません」
「……あ、はい」
「この辺りで、夜、ネコが鳴いてるって聞いてきたんですけど」
「……夜、ネコが、鳴いている」
「それでネコを保護しようと思って探しているんですけど」
「……ネコを、保護」
「ネコ、見てないですか?」
「……見て、ないですね。飼いネコなら見てますけど」
「そうですか。では、私はもう少し探してみます」
「……あ、はい」
荷台に大きなゲージを取り付けてある自転車を漕いで
おばあさんは行ってしまった。
いろいろな人が、いろいろなことを考えながら生活している。

2021年04月18日 山吹。
道灌と言えば
山でにわか雨に遭い、農家で蓑を借りようと立ち寄ったところ
娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出された。
道灌は蓑を借りようと思ったのに
花を差し出されて「何のこっちゃ」と内心腹立たしかった。
後でこの話を家臣にしたところ
それは有名な和歌の
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを
奥ゆかしく答えたのだと諭されて赤面する。
古歌を知らなかったことを恥じて
その後、道灌は歌道にも励み、歌人としても名高くなったという。
山吹はちょうど今頃、4月5月が開花の時期だそうな。

2021年04月11日 猫地蔵。
今日はガチャガチャのたくさん並んでいるところに
たまたま行ったので何年かぶりに
1つやってやろうと思い立ち
いろいろ見て回って少し悩んだ結果
「わびさび苔むす境内」というシリーズがいいのでは
という結論に至り200円で購入してみた。
出てきたのは「猫地蔵」というやつで
御影石で作った猫のお地蔵さんがだいぶ古びて
頭や足元に苔が生えているといった風情である。
なるほど単に懐かしいものを作ったというのではなく
「時間」が経過したということが付加されたものなのだ。
猫地蔵というものが本当にあるのかどうか少し調べたら
新宿の西落合にある自性院(じしょういん)にはあるらしい。
室町時代、江古田・沼袋原の戦いで
道に迷っていた太田道灌(おおたどうかん)の前に
1匹の黒い猫が現れて
自性院へと招き入れて危機を救ったという。
それで後に道灌がお地蔵様を奉納し
「猫地蔵」と呼ばれるようになったのだという。
さらに江戸時代に顔が猫のお地蔵様が奉納され
「猫地蔵」と共に毎年2月3日に開帳されているのだそうな。

2021年04月04日 パンジービオラ。
今日は家のささやかな庭に出て
春の草が生い茂ってきたので
少し草むしりでもしてやろうと
よくよくその草むらを見てみたら
何ということだろう。
去年、パンジービオラをあちこちに
地植えして楽しんでいたのだが
まさにそのあちこちのその場所に
パンジービオラが咲いているではないか。
おそらく一年草だから
元の株ではなく
種でも落ちて咲いているのだろうけど
他の雑草を採ってきれいにしたら
まさに去年の自粛期間中の庭が
完全に同じではないにせよ
ほんのりと再現されたので
改めて再び春が巡って来た喜びを
味わった次第である。

2021年03月29日 電車のアナウンス。
少し調べたら面白い電車のアナウンスというのは他にもあるようだ。
「この電車は古いタイプの電車です。
 センサーはなく、はさまりますと、ただはさまります。
 大変痛いです。大変痛いですので駆け込み乗車はご遠慮ください」
「この電車はひかり号新大阪行きです。
 こだま号ではございません。
 東京を出ますと、何があろうとも
 名古屋まで停まるわけにはまいりません」
「ドアが閉まります!電車から離れてください!
 ドアが閉まります!離れてください!
(ブシュー)
 ドアが発車しまーす!」
「次は○○です。降り口は前側です」
「今、私が酔っ払いにからまれているため
 発車が遅れていまーす!」
「ただいま地震が発生しましたため、地震を止めております」
「次はお茶の水、お茶の水です。
 ただいま左側には桜が満開となっております。
 どうぞお楽しみください」
「ただいま進行方向左側に虹が出ております」
「本日サンタさんになるお客様、
 網棚のプレゼントやケーキは
 特にお忘れにならないようお気をつけください」
「次は、し、しししし、し、新川崎です」
「業務放送、業務放送。
 現在電車がどこにいるのか教えてください」
「この電車はまだ行き先が決まっていません」
「ただいま147分遅れで発車となりました」
「行けるところまで、行きまーす」
「ただいまお子様が鉄橋を渡っているとの情報が入りました」

2021年03月28日 高橋さん。
ラジオを聴いてたら
大丈夫か?と思うような電車のアナウンスがあった
と話していた。
「本日も○○電鉄をご利用くださいましてありがとうございます。
 この電車は○○方面○○行きです。
 停車駅は○○、○○……○○、○○です。
 なお、この電車の車掌は渡辺……いや、高橋です」
よりによって自分の名前を間違えるとは。(笑)
でも、こういうことなら間違える可能性があるのでは?
とその後考えた。
例えば、高橋さんが新人で
間違えないようにと
渡辺先輩のノートを貸してもらって読んでいたという場合。
ノートには渡辺と書いてあるので
勢いで読んでしまったという可能性。
また、こういうことも考えられる。
渡辺さんは最近結婚して苗字が高橋に変わったばかりという場合。
どうしても慣れた方が口について出てしまったという可能性。
あと、単純に
高橋さんは最近頭の中が渡辺さんでいっぱいという場合。(笑)
いろいろ考えると面白い。

2021年03月21日 いい旅を、と誰もが言った。
ある本を読んでたら
「片岡義男さんがこんなことを言っていた」
みたいなことが書いてあって
片岡義男さんか……懐かしいな、と思った。
片岡さんは自分が中高生の頃はたいへんな人気で
本屋に行くとたくさん本が並んでいたものだ。
「スローなブギにしてくれ」
「彼のオートバイ、彼女の島」
「波乗りの島」
「いい旅を、と誰もが言った」
「ときには星の下で眠る」
「一日じゅう空を見ていた」
「B面の最初の曲」
「時差のないふたつの島」
「波と風のグッド・ニュース」
まあ、題名からして洒落ているのである。
片岡義男さんは作品を地で行く暮らしをされているせいか
英語に造詣が深いらしく
自分が今回読んでいた本は言語に関する本だったのだけど
片岡さんの英語に関する発言というのは
一目も二目も置かれているららしいのだ。
片岡さんの作品は何と、青空文庫でも読める。

2021年03月21日 古文漢文いい気分。
「2ちゃんねる」の創設者のひろゆき氏が
「古文・漢文オワコン論」を展開しているらしい。
いろいろな人を巻き込んで賛否両論となっているようだ。
ひろゆき氏の主張。
「古文・漢文は、センター試験(大学入学共通テスト)以降
全く使わない人が多数なので
お金の貯め方、生活保護・失業保険等の社会保障の取り方、
宗教、PCスキル、の教育と入れ替えたほうが良いのでは」
明海大学でも2019年に
シンポジウム「古典は本当に必要なのか」を開催して
大きな話題になったらしい。
国語教育に関わる自分が考えるに
古文・漢文を始めとする古典全般には
現代人にも必要、または通ずる
人間の叡智や人情の機微が記録されているので
学ぶ価値は十分にあると思う。
ただ、原文を正しく読み解く技術が
万人にとって果たして必要なのかどうか。
茶道で言えば作法ばかりが前面に出過ぎて
お茶を飲んで味わうところまでたどり着かない
というのが実際のところなのではないだろうか。
だから、たどり着かないから、いらないんだ
と短絡的に考える人が出てくる。
すぐに役に立つこと
実生活に役に立つことばかりを
重んじる風潮は嘆かわしいが
国語学者や国語の先生にでもならない限り
使わないような知識・技術の習得ばかりが立ちはだかって
古典を学ぶ意味さえ揺らいでしまっていては元も子もない。

2021年03月04日 メリトクラシー。
「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデルさんの
インタビュー記事を読んだ。
未邦訳の「メリトクラシーの暴政」を
踏まえてのものだった。
メリトクラシーとは「能力主義」。
グローバル化で勝ち組になった人達
(例えばGAFAのようなIT長者)
は自分の能力で現在の地位、収入を得ている
と考えがちだが
掘ったら石油が出たみたいな
時流に乗ったに過ぎない
という謙虚さを持たないと
トランプ政権を生み出したような
労働者階級の恨みを買い
分断の溝は深くなるばかりである
という内容だった。
「ノブレス・オブリージュ」(高貴さは担うべき義務を有する)
ではないが
「持てる者」は「持たざる者」を助ける義務がある
ということなのだろう。
マイケル・サンデルさんの主張。
「成功者は本当に自分の実力だけで
 成功したのかを問い直さなければならない」
単に富の再分配ではなく
現在の労働者階級が希望の持てる社会の構築。
「ブラック・ライブズ・マター」ではないが
「社会的弱者が不利となる仕組みが
 社会構造的に組み込まれていないか」
ということを
政治家や富を握る人達が十分に認識し
解決の道筋を示すことこそ
真に求められていることなのだろう。

2021年02月21日 背番号22、安田が好きだった。
るみ 浩二君、誰好きなの?スワローズの選手で。
浩二 好きな選手?そりゃいろいろいるよ。
るみ 一人あげるとすれば誰?
浩二 え?一人?うーん……みんないいんだけど、
   まあ、ピッチャーで、例えば一人あげるとすれば……安田かな。
るみ 安田?
浩二 ピッチャーでいるんだ、背番号22。
   何かずんぐりむっくりの、
   お世辞にもかっこいいって、感じの人じゃないんだけど。
るみ 知らない。
浩二 ああ、まあ、そうだろうね。
   でも、コントロールいいんだよ、安田は。
   サウスポーでね、七色の変化球って言われてるんだ。
               「スワローズは夜空に舞って」より




安田猛さん……。





2021年02月20日 細川ガラシャ。
明智光秀の娘だからといって
細川珠(ガラシャ)は必ずしも不幸な人生を送ったわけではないようだ。
細川藤孝の息子、忠興に嫁いだ珠は
本能寺の変の後、謀反人の娘となり
忠興の命で丹後国三戸野に幽閉されたものの
三戸野はもともと明智家の「茶屋」があった土地柄で
その後も忠興の子を2人産んでいるところをみても
幽閉というよりは避難していたというところなのだろう。
キリシタンになったのも
忠興と交友のある高山右近の影響でというのが通説だが
三戸野にいた時に親戚筋にあたる
清原家の清原マリアが侍女としてついていたのだそうで
そこが発端であったに違いない。
その後、秀吉の取り成しで珠は大坂に戻された。
そして、珠は身分を隠して教会に行く。
いろいろと質問をしてくる珠に
日本人のコスメ修道士は
「これほど明晰な日本の女性と話したことはない」と
と後になって述べている。
珠は洗礼を受けたいと申し出るが
教会側は身なりから身分の高い方であると判断し
洗礼は見合わされた。
教会は珠に尾行をつけ
細川家の奥方であることを知る。
その後は監視が厳しくなったのか外出が許されず
秀吉がバテレン追放令を出したこともあって
珠は教会に行くことはできなかった。
自邸で珠は清原マリアから密かに洗礼を受け
ガラシャ(恩寵・神の恵みの意、グラツィアとも言う)
という洗礼名を受けた。
忠興は棄教させようとしたが
珠は頑としてきかず
ついに忠興も黙認するに至った。
そして、慶長5年(1600年)
忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣する。
そこで、忠興は家康側、関ヶ原の戦いでは東軍につくことを決断する。
それを伝え聞いた西軍の石田三成は
大坂の細川屋敷にいた珠を人質に取ろうするが
ガラシャはそれを拒絶し、侍女たちを屋敷の外に出し
自殺はキリスト教で禁じられているからと
家老に介錯を頼み、屋敷に火を点けるよう頼む。

辞世の歌
散りぬべき時知りてこそ世の中の
花も花なれ人も人なれ

ガラシャの死の数時間後
神父オルガンティノは焼け跡を訪れて
ガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬った。
忠興はガラシャの死を悲しみ
オルガンティノに教会葬を依頼し葬儀にも参列する。
前にもここで書いたが
ガラシャの持っていたとされる十字架が
大阪の「南蛮文化館」に所蔵されている。
オルガンティノが焼け跡で遺骨とともに拾ったとされ
前にテレビ番組で「真田丸」でガラシャを演じた
橋本マナミさんがその十字架を手に取って涙したのを見て
自分もつい、うるうるきてしまった。

2021年02月20日 東京オリンピック2。
イギリスの通信社ロイターの記事によると
「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」
(以下「招致委」)のIOC委員への金銭の流れの一端がわかる。
「招致委」の銀行口座の取引明細証明書には
招致活動に費やした資金の取引が3000件以上記載されており
たくさんの人々や企業にお金が流れている。
レセプションやパーティーでは時計が配られている事実があり
「招致委」の口座記録を見ると
セイコーに500万円ほどが支払われている。
そうした中で最も多額の資金を受け取っていたのは
電通の元専務で何と約9億円が支払われているのだという。
その元専務はさるIOC委員に飲食をおごり
デジタルカメラや腕時計を手土産として渡していたことが
わかっている。
にしても、何しろ約9億円である。
他は何に使ったのだろう?
森元総理が会長を務める団体
「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」にも
約1億4500万円が「招致委」から支払われているという。
どんな研究・交流をする団体なのだろう?
「招致委」は何ら不正なことはしていない
という認識らしいのだが
そもそも「招致委」の資金って一切税金は使われていないのだろうか?
2012年度 補助金2億2770万円 寄付金23億6653万円
2013年度 補助金6億8226万円 寄付金25億2445万円
とある。
補助金とは税金なのだろうか?
そして寄付金とは企業や個人からの寄付なのだろうが
IOC委員に飲食をおごり手土産を渡すことが含まれている
とどこまで認識しての寄付なのだろうか?
それとも寄付をしている企業はゼネコンとかで
後々儲けるための先行投資という認識なのだろうか。
IOC委員は110人くらいいるらしいのだが
国王、王族、元王族などがびっしりと並ぶ。
問題なのは
招致するためにそのIOC委員達のご機嫌をうかがうべく
おごる、貢ぐのが当たり前になっていることだ。
たぶん、競技の当落においても
同じようなことが行われているのではないだろうか。
そして、贈賄だ何だと騒がれると
IOCは各国の「招致委」が勝手にやったことで
「むしろ我々は被害者だ」などとぬかすのだという。
「水戸黄門」のお代官様が越後屋を見捨てる時に言うセリフ
「越後屋が勝手にやったことだ!わしは知らぬ!」と同じである。
橋本聖子新会長は周囲に
「荷が重い」「やりたくない」とこぼしていたのだという。
可哀そうである。

2021年02月13日 たかが殺人じゃないか。
辻真先(つじまさき)さんの「たかが殺人じゃないか」を読んだ。
「このミステリーがすごい!2021年版国内編」1位
「週刊文春2020ミステリーベスト10国内部門」1位
「ハヤカワ・ミステリが読みたい!国内篇」1位、である。
何と言っても辻真先さんが現在88歳ということにまず驚く。
これだけの分量の、しかもこんな明晰なミステリーを
そんなご高齢で書けるということに驚嘆する。
自分が辻真先さんの名前を初めて知ったのは高校生の時で
それもH君という級友が熱く語ってくれたのを今でも覚えている。
「星野、この辻真先っていう推理作家なんだけど」
「つじまさきって読むの?それ」
「うん。実はこの人、ただ者じゃないというか
 ただの推理作家じゃないんだ」
「へえ」
「サザエさんの脚本とかも書いてるんだ」
「サザエさんの、脚本……」
「うん。しかもサザエさんだけじゃないんだよ。
 一休さんとかドラえもんとか
 アラレちゃんとかパタリロとかいろいろ書いてるの」
「え?」
「辻真先ってね、すごい人なんだよ」
で、余談で
このH君は自分が高校1年の時に仲良くしていたのだけど
授業中、ずーっと持ってきた雑誌を読んでいるという強者だった。
自分の高校はのんびりしていたので
特に先生はそれを咎めることもなく放置していた。
そういう懐の広い学校だった。(笑)
で、話を戻すと
「たかが殺人じゃないか」の何がすごいかというと
戦後の名古屋の様子や新制高校の雰囲気が
つぶさに描写されているということである。
そこが88歳でしか書き得ないところで
ミステリーの造作もさることながら
その部分にいたく感嘆した。
名古屋の人が読んだら土地勘もあるし
一層楽しめるのではないだろうか。
そして、これ以上のネタバレはやめようと思うのだが
最後まで読むと、おおっ、となること請け合いである。

あらすじ
昭和24年、風早勝利は、名古屋市内の新制高校3年生になった。
旧制中学卒業後の、たった1年だけの男女共学の高校生活。
顧問の勧めで勝利たち推理小説研究会は
映画研究会と合同で1泊旅行を計画する。
顧問と男女生徒5名で湯谷温泉へ
修学旅行代わりの小旅行だった。
そこで起こる密室殺人事件。
さらに夏休み最終日の夜、キティ台風が襲来する中
学校で起きた首切り殺人事件。
この2つの不可解な事件を勝利たちは解くことができるのか……。

2021年02月13日 東京オリンピック。
今週は森喜朗元総理、JOC会長の辞任が話題だったが
JOCの臨時評議員会で
女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる旨
の発言が炎上してのことらしい。
非難されて然るべきなのだろうけど
森元総理の根本にあるのは
「会議に時間がかかることが嫌」なのだと思う。
つまりは会議をやる前に根回しをして
大切なことはある程度決めておいて
「しゃんしゃん総会」ではないけれど
会議は表向き承認を得る場にしておきたいのだ。
だから、会議で改めて話し合いたくないのである。
どこかの党の総裁選で
選挙をする前に根回しをして
誰がなるのかを事前に決めておいて
選挙は表向き承認を得る場にしておきたいというのと同じだ。
やってみないとわからないような選挙は
絶対にやりたくないのである。
しかも2位に誰がなるかまで決めていた
というのだから驚く。
つまりは自分達に都合良く動かすことだけに長けた人達なのであり
そういう論理の一端が今回垣間見えたのだと思う。
後任を決めるにあたっても
当初は森元総理が川渕三郎元キャプテンを指名したのだそうで
あくまで「会議」で決めるつもりはないのである。
それが税金の流れていない組織の話なら
それでいいのかもしれないけど
そうではないのが問題なのである。
過去に長野オリンピックの会計帳簿が焼却されたのを
覚えている人も多いと思う。
「帳簿を残すと不都合な事情があった」らしいのだが
そういう闇から闇へと葬るようなことはあってはならないし
JOCはおろかIOCですら知らぬ存ぜぬで済まされる話ではない。
「視える」化した状態にすると
「不都合」なことが生じるような人達は
この際、全員レッドカードをくらった方がいい
というのが実際のところだろう。

2021年02月05日 推し、燃ゆ。
「推し、燃ゆ」はそれに比べてまだ社会性?があって
何を食べさせられているのかはわかるように書かれている。
高校生のあかりはアイドルグループ「まざま座」の
上野真幸(うえのまさき)くん推しである。
ただ、あかりは
肉体を持った生物として生まれて来たことへの違和感
社会性を持った存在として生きて行くことへの違和感
など思春期特有とも言っていい生きづらさ
または「自同律の不快」と言ってもいい感覚を感じており
実生活はいろいろと折り合いをつけられず破綻気味である。
ただ、あかりにとっては、推しくんを推しているときだけが
現世での一切を忘れられるときであり
救済なのである。
病めるときも健やかなるときも推しを推す。
最後、文学だなぁ、若いのに手練れかよ、という終わり方をする。
SNS世代の
しかも今までの文学の潮流をしっかりと受け継いだ本格派
が誕生した、ということが事件なのである。

2021年02月05日 かか。
話題の、宇佐美りんさんの「かか」「推し、燃ゆ」を読んだ。
先頃「推し、燃ゆ」は芥川賞を受賞。
ただ、前作の「かか」の時から
すげぇヤツが現れた、と各処で絶賛されていた。
いい作家というものは
まず書くべきものを持っていて
それを的確に表現する構想力と表現力を持っている。
宇佐美りんさんは若いのにそのすべてを
悠々と兼ね備えているのである。
「かか」を読み始めると
え?これは何を食べさせられてるんですか?
え?これを咀嚼しないといけないんですか?
みたいな印象を受ける。
そして、何だかいろいろすっきりしないまま物語は進み
でも、とんでもなく熱量があるので
ぐいぐいと引っ張られて行く。
最後らへん熊野に行くので、そうだろうとは思ったけど
神話かよ、という領域にまで連れて行かれるのである。

2021年01月30日 かごめかごめ。
さらにこんな説もある。
童謡の「かごめかごめ」。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ
マザーグース並みに謎めいた歌詞で
童謡の中ではひときわ異彩を放っている。
その「かごめかごめ」が
明智光秀=天海説を歌った歌なのではないかというのである。
かごめとは、竹で編まれた籠の目のことで
六角形をしている。
明智光秀ゆかりの地である
土岐(岐阜県)、明智神社(福井県)、日光東照宮(栃木県)、
江戸城(東京都)、駿府(すんぷ)(静岡県)、佐渡金山(新潟県)
を結ぶと、地図上に籠の目ができるあがるのだという。
「籠の中の鳥」の鳥とは、とり=とき、
明智光秀と同族とされる土岐(とき)氏のこととされている。
「いついつ出やる」とは
光秀が復活することを表しており
「夜明けの晩」とは、
夜明けの終わりにという意味で日の出、日光を表している。
「鶴と亀がすべった」とは
日光東照宮にある鶴と亀の像を指しているとされており
鶴は飛ぶので天をイメージさせ
亀は泳ぐので海のイメージがあり
転じて「天海」となったことを表しているのだという。
「すべる」は「統べる」、統治することを表している。
「後ろの正面、だあれ」は
「後ろを向いた時に正面に居る人はだあれ?」という意味で
明智光秀の出生地、岐阜県可児市から日光の方向を向くと
「後ろの正面」は大阪府岸和田市にある本徳寺になり
本徳寺は光秀の肖像画を唯一保有している寺だという。
肖像画には「輝雲道琇禅定門肖像賛」と書かれており
「輝」の字のなかに「光」があり
「琇」の字のなかに「秀」があり
つまり「光秀」の名が隠れているとされている。
「麒麟がくる」の最終回が楽しみだ。

2021年01月30日 明智光秀=天海説。
そして、その華厳の滝を見渡せる場所にある
明智平(あけちだいら)なのだけど
明智光秀=天海説の根拠の1つになっている。
明智光秀と天海の関係を伺わせる根拠​。
・日光に明智平と呼ばれる区域があり
 天海がそう名付けたという伝承がある。
・徳川家光の乳母には
 明智光秀の重臣の斎藤利三の子の春日局が採用され
 家光の子の徳川家綱の乳母には
 明智光秀の重臣の溝尾茂朝の孫の三沢局が採用されている。
・山崎の戦いで明智側についた京極家は
 関ヶ原の戦いの折に西軍に降伏したにもかかわらず戦後加増された。
 一方、光秀寄りでありながら山崎の戦いで光秀に敵対した筒井家は
 慶長13年(1608年)に改易されている。
・明智光秀の孫の織田昌澄は大坂の陣で豊臣方として参戦したが
 戦後に助命されていること。
・明智光秀と天海は地蔵菩薩を信奉していた。
 それぞれの地蔵菩薩像は京の廬山寺、
 江戸の正徳院に奉納され現存している。
・天海の墓所が、明智光秀の居城があった近江坂本にある。
・光秀の位牌が納められている寺(慈眼寺)と
 天海の戒名(慈眼大師)が同じである。
・天海ゆかりの喜多院に、天海の鉄砲が残されている。
 明智光秀は、鉄砲の名手であった。
・徳川家光の「光」の字は「光秀」からもらったものなのではないか。
 「光」のつく親族や武将が他に見当たらない。
とはいえ、歴史学者はこぞって明智光秀=天海説には否定的なようだが
ここまでいろいろあると
何らの関係性があったのではないかと思われてならない。
例えば、明智左馬之助が生き残って天海になったとか……。
少し調べたら
明智左馬之助の生年は、天文5年(1536年)?となっており
天海の生年は、天文5年(1536年)?となっており
?の部分まで同じである。

2021年01月30日 二荒山。
松本清張の本を読んだら
栃木県日光の二荒山(ふたらさん)神社のことが書いてあった。
それらよると、日光と二荒の名称の由来は
補陀落(ふだらく)が「ふたら」と変わり
二荒という字を当てるようになり
その二荒を音読みにすると「にこう」となり
別の字を当てて日光となった、と書かれていた。
で、そもそも男体山は補陀落山,二荒山と呼ばれていたらしい。
今まで宇都宮の二荒山神社は二荒(ふたあら)と読むのに
日光の二荒山神社は二荒(ふたら)と読むのが不思議だった。
でも、それを知ると合点がいく。
二荒(ふたら)山の麓にあるから
二荒(ふたら)山神社で
たぶん宇都宮の二荒(ふたあら)山神社より先に出来たのだ。
で、補陀落(ふだらく)とは何なのか、ということなのだけど
補陀落とは、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山のことだそうな。
インドの南端の海岸にあると言い伝えられていて
「華厳経(けごんきょう)」などにその表記が見られる。
だから、関連で日光のあの滝を華厳の滝というのだと思う。
日本では、熊野と日光が、補陀落になぞらえられて信仰を集めていた。
そういう意味で、熊野と日光は特別な場所なのだ。

2021年01月23日 ロングバケーション。
ドラマに関する考察の記事を読んだら興味深かった。
1996年のフジテレビの月9「ロングバケーション」。
主演は山口智子さん、木村拓哉さん。
通称「ロンバケ」。
視聴率も高く、月9黄金時代の金字塔的作品である。
で、その「ロンバケ」のそもそものドラマの始まりが
山口智子さん演じるモデルの葉山が
結婚式当日に婚約者に捨てられるところから始まるらしい。
それで捨てた彼氏がルームシェアしていた
木村拓哉さん演じるピアニストの瀬名のマンションに
押し掛けて転がり込むことになるらしい。
そして、その理由というのが
ルームメイトだった瀬名に婚約者が電話してくるかもしれないから
電話してきたら出たいというものだった。
連絡がつかないって、どんだけ風来坊の彼氏なんだ
というのは置いといて
携帯電話が普及していない
家電(いえでん)が当たり前だった頃だから成り立つ
押しかけ占拠理由である。
情報通信ツールの進化に伴なって
人と人のコミュニケーションの在り方というものが
この四半世紀で大きく様変わりしたことを表している。
だいたい最近のドラマの登場人物は
スマホをちらちら確認していることが多く
誰からどんな内容のLINEが来たか
視聴者にわかるように説明したり
「ん?お母さん……帰りにネギ買って来い?ちっ」
ドラマによっては面倒くさいから
LINEの内容をそのまま字幕で出しちまえ
みたなものも当然のように出てきている。
そういえば、自分が子どもの頃に思い描いていた未来は
トランシーバーのように
いつでもどこでも誰とでも「会話ができる」世界だった。
それが、実際にやってきた未来は
現在のところ「会話もできる」けど
どちらかというと「文を送り合うのがメイン」の世界だった。
いや「画像も映像も送れる」、
でも、どちらかというと「文を送り合うのがメイン」なのである。
これは密かに、とても意外だったことの1つ、なのではないだろうか。
文字、文章に、
皆さん、とても親しみを持って接してらっしゃる、のである。
小学校や中学校で国語を学ぶ意味も
ま、漢字や語句程度かもしれないけど
決して希薄にならないわけだ。
現代人は、読書をしない、新聞を読まない
傾向はあるかもしれない。
けれど、文字や文章にはとても親しんでいるのである。
下手をすると、明治時代の文豪が書く書簡より
文字数では上回っているのではないだろうか。
で、そこまで文字文化のウエイトが高まっている現在、
文字での表現の導入が難しい演劇はどうしたらいいのか。
結構前に、演劇人の誰だったか
携帯電話の普及によって、現代劇は大きく変化を迫られる
みたいな危惧を漏らしていた。
でも、その演劇人も
携帯電話の音声でのコミュニケーションを
主に想定しての危惧であったと思うのである。
ここまで文字文化に浸食されることは想定してなかったに違いない。
現代では、情報ががスマホからスマホへ文字で送られる。
芝居は、スマホを見つめて
その情報に反応する人の姿をのみ描くべきか。
それとも、それがどんな内容であったか、
それなりのテクニックを使って表現すべきか。
それとも、スマホなどの必要のない世界を選んで描くべきか。
うーむ。

2021年01月16日 邪馬台国サミット2021。
NHKBSプレミアムの「邪馬台国サミット2021」まとめ。
・畿内説と九州説の2つに絞られる。それ以外はない。
・「三国志」の「魏志倭人伝」であることから
内容には魏の思惑が色濃く表れている可能性が高い。
 つまり、水行陸行を文字通りとらえると
 フィリピンの東南海上になるというのは
 魏にとってライバルである呉の背後の国、つまり倭と
 魏は友好関係を結んでいるというプレッシャーを
 呉に与えたいという思惑があるのでは。
 だから、元より事実を書いたものではないので
 水行陸行を論議するのは意味がない。
・纏向遺跡の建物は驚くほど立派なものである。
 そして、何もない所に突然建てられている。
 しかも、箸墓古墳が前方後円墳の最古のもので
 それがその後、全国的に広まっている。
 以上のことから、
 纏向が邪馬台国かどうかは別にして
 伊都、吉備、出雲などの勢力が
 後ろ盾となって作られた
 中央集権の走りとなるような存在だったのでは。
・伊都国が王を擁するかなり巨大な力を持っている国だった。
 纏向のように何もない所に巨大集落を突然作るには
伊都国の財力、人的力が必要だったのでは。
・箸墓古墳の前方後円墳は
吉備の2カ所の突き出しのある墳墓を模したのでは。
 纏向は儀礼的には吉備の様式を受け継いだ可能性も。
・纏向が母胎となって作られた畿内の勢力は
 中国から送られた三角縁神獣鏡のレプリカや
 独自に作った銅鐸を関係の証として
 全国に送ったと見られる。
・現時点では
 邪馬台国が元々九州にあって
 その後、新たに中央集権的な国が
 畿内に出来たのか
 または、新たに畿内に出来た中央集権的な国を
 邪馬台国と呼んだのか
 そのどちらかなのだが
 それを確定できるようなものはまだ出土していない。
 ただ、もし後者であるのなら
 なぜ「日本書紀」に
 邪馬台国や卑弥呼に関する記述がないのか疑問が残る。

2021年01月09日 私の家政夫ナギサさん。
録画していたドラマ「私の家政夫ナギサさん」を見た。
本当にほっこりする素敵なドラマだった。
多部未華子さん演じる相原メイは
製薬会社の成績優秀なMR。
MRとはmedical representative。
日本語だと医療情報担当者。
業務内容は
医師に自社の医薬品の品質、有効性、安全性などを情報提供し
また、投与後の効果、副作用などの情報を収集するといったもの。
医療ドラマがあまりにたくさん作られるようになったので
そういった仕事の人まで取り上げるようになったんだという感はある。
で、主人公のメイは仕事は出来るものの一切の家事が苦手。
一人暮らしの部屋は散らかり放題。
最早ベッドで寝ることも出来なくなり
ソファで寝起きしている。
食事はゼリー飲料で済ますことが多い。
そんな姉の様子を見かねて
家政婦派遣会社に勤めている妹のユイが
お試しで家政婦さんを派遣する。
それが家政婦ならぬ家政夫の
大森南朋さん演じる鴫野(しぎの)ナギサで
50歳のおじさんながら
料理、裁縫、掃除、洗濯何でもこなす
スーパー家政夫さんだった。
ちなみに大森南朋さんのお父さんは
暗黒舞踏集団「大駱駝艦」の麿赤兒(まろあかじ)さん。
と、20歳も上のおじさんと半同棲?することになる
いわゆる「都合良く男子と暮らすことになるシリーズ」。
加えてライバル製薬会社のMR
瀬戸康史さん演じる田所が
マンションの隣に引っ越してくるという
いわゆる「都合良く男子とお近づきになるシリーズ」も
付け足されて
何か起きないわけがない状況が整って
物語は進行していく。
製薬会社のメイの同僚はいい人ばかりで
どこかのドラマみたいに激昴したり
罵りあったりしないので
見ていて気持ちがいい。
近代社会、現代社会と進むにつれて
社会は複雑化し、個人で抱える問題も多岐に渡ってきている。
仕事も私生活も立派に両立している人は
それはそれでとても立派なのだけど
個人で肩肘張ってそんなに抱え込まないで
みんなで分業して問題を解決していく風土を
醸成させていくことこそ
本当に成熟した社会と言えるのではないですか
と訴える一つの試案というものが
このドラマの底流にはある。
でもまあ、そういう理屈は置いといて
ラスト近くの
メイのマンションが見える陸橋でのシーンは
ドラマ史に残る
感動的な場面だったのではないだろうか。
また、いい所であいみょんの「裸の心」が流れる。
少し調べたらあのロケ地は
神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎南2丁目なのだそうな。
コロナが落ち着いたら行ってみたいな。(笑)

2021年01月03日 あけましておめでとうございます。
年末に居間のエアコンを替えた。
家電量販店に行ってエアコン売り場の人に
「ちなみに現在の居間のエアコンはこれです」と
何枚かの写真を見せると
「はいはいはい。17年も使ってらっしゃるんですね」
「え?そんなに使ってます?」
「ええ。ちなみにそのメーカーはもうエアコンからは撤退してます」
「……撤退」
「はい。だから自ずと他のメーカーということになりますが……
 やはり冬だから暖房が強力なやつがいいですか?」
「そう……ですかね」
「だとすると……あれなんか強力ですけどね」
「あれですか」
「ええ」
予算に見合う感じだったので
その暖房が強力なやつというのを買ってみた。
2日後くらいに取り付け工事の人が来て
それでも室外機の交換も含めて2、3時間くらいは
あれやこれややって新しいエアコンが設置された。
すると、確かに温風がすごい。
買い物をしてテーブルに買ってきたものを
ビニール袋から全部出し終わった途端に
ビニール袋がぶわーんと風に飛ばされている。
テーブルにティッシュを1枚広げて
その上に柿の種を出して食べようと思ったら
ティッシュを広げた途端にぶわーんとティッシュが飛ばされている。
テーブルに外して置いたマスクが
ずずず、ずずずと少しずつテーブルの下へと移動されるご様子である。
飛ばされないように
新しい生活様式が求められるエアコンである。(笑)
というわけで
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


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